ノアフィエル
Noaphiel
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Noaphiel
ソロモン諸島、ブーゲンビル島のシウハイ族の信じる、彼らの祖先とされる精霊の一人。「コリナ」の姉であり、コリナの子孫は豚の脂身をタブーとするが、ノイハの子孫は食べてもよいという。
Nohuiçana
Nohuichana
Méng-jìng guān-yīn
仏教において中国由来の変化観音(→観音菩薩)の一つであり、「三十三観音(さんじゅうさんかんのん)」の一尊。妙法蓮華経にある一節、「例えば財宝を捜し大海を航海している際に「羅刹(らせつ)」の国に漂着したとしても、その中の一人が観音の名を唱えれば羅刹に害されるようなことはない」に対応する仏尊とされる。つまり遭難者を「能(よ)く安静ならしむる」ことをもって能静観音という。水辺の岩の上に趺坐し両手を岩棚に重ねた静寂相で表される。
![能静観音の画像[1]](/img/space.png)
「増補諸宗 佛像図彙(ぞうほしょしゅう ぶつぞうずい)」(1900)より
ページ:v02p017
土佐秀信著
国立国会図書館(National Diet Library)蔵
Copyright : public domain
三十三観音の一尊として。
Nogahiel
のがま
日本の高知県、徳島県などの山間部に伝わる妖怪。野山を歩いていると何もないところで転んでしまい、鎌で切られたような傷がつくときがあり、これを「野鎌が食う」などといい野鎌の仕業だと考えられた。徳島県祖谷地方では葬式の穴掘りなどに使った鎌をそのまま七日は墓場においておく習慣があったが、七日経っても持ち帰らないとその鎌は野鎌になるという。
Nogle
Noçana
のじゅくび
日本における怪火の一種で「絵本百物語」にその記述が見える。山道は田舎道でみられ、ちらちらと火が燃えていたと思ったら消え、消えたと思ったらまた燃え始めるものだという。この様は「狐火(きつねび)」と似ているが、狐火と違うところは、人の騒ぎ声や歌い声を伴うことである。特に春の花見のあとや秋の紅葉狩りのあとなどに出現するものらしく、人の喧騒が生み出す残り火のようなものであろうか。
Nosjthej
アルゼンチンからチリにかけての一帯に住むテウェルチェ族における巨人。文化英雄「エル・ラル(El-lal)」の父親であるが、エル・ラルが生まれようとしていた時彼を食べようとした。ノスジュテジュは後に世界の支配者となったエル・ラルに打ち滅ぼされた。
Nosteri
Knocker
イングランドのコーンウォール州に伝わる鉱山の妖精。滅多に姿を見られないが小人の鉱夫のような姿をしているとされる。彼らは自分達のために金や錫を掘っているが、よい鉱脈があると坑道の壁を叩いて人間たちにもそれを教えてくれる。また落盤があるときなどは坑道の四方の壁を叩いて警告してくれるという。ノッカーはののしり声や口笛、十字を切るなどの行為が嫌いで、そのようなことをする鉱夫には石の雨を降らしたり作業場に落石を起こしたりするという。
Noggle
のづち
妖怪の一種。「和漢三才図会」や仏教説話集である「沙石集」などに言及がある。「のづち」とは「野津霊」、つまり野の精霊を意味し「野之霊」の字を当てることもある。「乃豆知」とも書く。「古事記」や「日本書紀」に登場する「野椎神(のづちのかみ)」は「大山津見神(おおやまつみのかみ)」の妹でありまた妻であるが、大山津見神が蛇の姿をしているとする説から、野椎神も蛇神とされるようになり、「野にいる槌のような蛇」という観念が生まれたと考えられる。「和漢三才図会」によれば幅五寸(約15cm)、身の丈三尺(90cm)ほどの蛇に似た生物で、頭と尾が同じ太さをしているという。奈良県の吉野山中の夏見川や蜻螟滝などで見かけられ、人を見ると坂を転がってきて足に噛みついてくる。ただ坂を降りるのは早くても登るのは遅いので、野槌を見かけたらすぐに高いところに逃げれば難を逃れられるとされている。「槌の子(つちのこ)」と同一視される。
のづちのかみ
日本記紀神話に見える野と草を司る女神。「鹿屋野比売神/鹿屋姫神(かやのひめのかみ)」、「草野姫/草姫(かやのひめ)」、「野槌(のづち)」といった名前でも呼ばれる。「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」と「伊邪那美命(いざなみのみこと)」の御子神、「三十五神(みそぢまりいつはしら)」の一人であり、山の神である「大山津見神(おおやまつみのかみ)」の妹でありまた妻でもあるとされる。大山津見神との間に「天之狭土神(あめのさづちのかみ)」、「国之狭土神(くにのさづちのかみ)」、「天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)」、「国之狹霧神(くにのさぎりのかみ)」、「天之闇戸神(あめのくらとのかみ)」、「国之闇戸神(くにのくらとのかみ)」、「大戸惑子神(おおとまといこのかみ)」、「大戸惑女神(おおとまといめのかみ)」の八柱の子をもうけた。この八神はいずれも親の特徴を受け継ぎ山野の風景や現象を神格化した神だが、三十五神に数えられている。
のっぺらぼう
日本において、目鼻口がなく、顔が卵のように完全にのっぺりとした姿をしていて、それ以外は人間と変わらないという妖怪。「ぬっぺら坊(ぬっぺらぼう)」、「ぬっぺらぼん」とも呼ばれる。男女ともにいて町人と変わらない格好をしていることが多い。ただ人を驚かすだけの妖怪で、夜道に塀や影に顔を向けて立っている。これを不審に思った通行人が声を掛けると、不意に振り返り、つるんとした顔を見せて人を驚かすのである。口だけついているのっぺら坊もいて、この場合は振り向きざまケタケタと笑ったりする。
のでっぽう
日本に伝わる妖怪、あるいは想像上の生物。「絵本百物語」にみえる。狸やリスのような姿をしていて北国の深い山中に住んでおり、人を見かけると人の顔に黒いものを吐き付けて目鼻口を塞ぎ、殺して食べてしまう獣だという。「猯(まみ)」が年を経ると野鉄砲になるとも言われる。巻耳(まきみみ=ミミナグサのこと)を懐に忍ばせておけば酔ってこないという。
のびあがり
日本の愛媛県北宇和郡や徳島県祖谷地方などで見られた妖怪。見上げれば見上げるほど瀬が高くなる「見越入道(みこしにゅうどう)」のような妖怪で、地上から一尺(約30cm)ほどの高さで蹴って目をそらせば消えてしまうとされる。見越入道は一般的に狸が化けたものとされるが、伸び上がりは川獺が化けたものだという。
Nobu
バヌアツ共和国、ニューヘブリデス諸島のエロマンガ島における創造神。
のぶすま
日本における想像上の動物。衾(ふすま)とは寝るときに体の上にかける夜具のことで、野衾とは現在で言うムササビのことだが、現在知られる生態の他に、夜道を歩いている人を襲って松明を消したり(あるいはそこから発展して炎を食べるとされたり)、人や家畜を襲って血を吸うと考えられていた。
のぶすま
日本に高知県幡多郡に出現したという妖怪。夜道を歩いているといきなり眼前に襖のような壁が立ちふさがり、迂回しようとしても果てなく伸びているように見えるという。落ち着いて煙草を二、三服も吸えば自然と消えるものだという。「塗壁(ぬりかべ)」と同様の妖怪と考えられる。
Gnome
のりこし
日本の岩手県の遠野地方に伝わる妖怪。「伸び上がり(のびあがり)」の様な妖怪で、初めははっきりしない小さな影法師のような姿をしているが、よく見ようとするたびに段々と背が高くなり、やがて人家の屋根を乗り越してしまうという。乗り越しにあった場合は下へと見下ろすようにすれば良いとされる。
Nordri
Norn
Níng-guàn-wá, Ningguanwa
中国の景頗(チンポー)族(ミャンマーで言うカチン族)における創造神。漢字では「寧貫娃」。この世の初め、ノンクェンアは悪神「カォズォルレイ」が眠っている間に天地を切り開き、泥で人間や動物達を作ったのだが、これにより周りが一気に騒がしくなったのでカォズォルレイは目を覚ましてしまった。自分が眠っている間に出来上がった世界にカォズォルレイは腹を立て、人間を殺そうとしだした。こうして悪神カォズォルレイと善神ノンクェンアの戦いは始まった。この戦いで二神は深く傷ついたが、最後にカォズォルレイは天の河をひっくり返して洪水を起こした。これで人間のほとんどが死んでしまったが山の上にいた牛飼いの姉弟だけが牛の皮袋に入って生き延びた。この二人は夫婦となり息子を産んだ。息子は山神に引き裂かれて八つの肉塊になったが、この肉塊は4人の男と4人の女になった。これらの若者はそれぞれ夫婦となり民族の祖先になった。
Naonhaithya
ゾロアスター教における悪魔の一人。インドのナーサティアのことだが、ゾロアスター教では悪魔と考えられた。6人の「アメサ・スペンタ(Amesa Spenta)」に対抗する6人の悪魔の一人(ただし諸説あるせいで全員挙げると6人以上いる)。
Nonmo
西アフリカドゴン族の神。ドゴン族はすべての死者は精霊、すなわちノンモになると考えられている。しかし、ノンモという名前はそれとは別に、創造神「アンマ(Anma)」から生まれ、父に河って世界創造を完成させた、原初の大精霊のことも指す。大精霊ノンモは男女の双子として登場した。ドゴン族では一対であることは物事の完璧な姿をあらわし、したがって男女の双子はもっとも神聖な存在と考えられる(アンマの長子ユルグは単独神であり不完全とされ、その為に完全に憧れ神に反逆する)。 大精霊ノンモは地上が不浄になったため天へと退いた父神に変わり、その神聖な仕事を受け継いだ。ノンモは降臨すると自分たちが誕生したアリ塚の中に宿り、原初の人間に男女対になる魂を与え、また母なる大地を浄化して世界に秩序をもたらした。
大精霊ノンモは上半身が人間で下半身が蛇の姿をしており、手には関節がなく舌が二股に分かれていた。これは蛇が不死の生命を象徴する動物と考えられたからである。