伊勢都彦命

伊勢都彦命

いせつひこのみこと

「播磨国風土記」や「伊勢国風土記」逸文に見える神で「伊勢」という国号の由来になったとされる神。播磨国風土記では「伊勢都比古命」、伊勢国風土記逸文では「伊勢都彦命」と表記される。「出雲神(いずものかみ)」ないし伊和大神の子神で、伊勢国風土記逸文に拠ればまたの名を「出雲建子命(いずもたけこのみこと)」、「天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)」といい、伊賀の安志社(あなしのやしろ)にいる神で石の城(防塞)を築いて、来襲した「阿倍志彦神(あべしひこのかみ=伊賀国阿部郡の神(敢國神社の元の祭神である敢国津神)か)」を追い返したという。ここで「安志=穴石」や「石の城」が出てくるように、神名の「伊勢」は「石(いそ)」の転訛で、石神のことを指していた可能性がある。また別の逸文では神武天皇(→神倭伊波礼毘古命)の命を受けた天日別命に国土を渡すように要求され、最初は拒否するも最終的には平伏し、伊勢国を去り信濃国に住むようになったと書かれている。この時伊勢を去った証拠として「八風を起こし海水を吹き上げ波浪に乗って東方に退却する」と天日別命と約束し、そのように去った。この退却は夜更けに行われたが大風が四方に起こり、大波を打ち上げ、太陽のように光り輝いて陸も海も昼のように明るくなったという。安志社とは式内社の「穴石神社」で、三重県伊賀市柘植町にある現「都美恵神社(つみえじんじゃ)」のことと思われる。本居宣長は最終的に信濃国(現在の長野県)に向かったとある点と物語の類似性から、伊勢都彦命は建御名方神と同神ではないかと論じている。三重県伊勢市辻久留にある「上社(かみのやしろ)」の「櫛玉宮(くしたまのみや)」は伊勢都彦命を「伊勢津彦大神(いせつひこのおおかみ)」として「伊勢津姫大神(いせつひこのおおかみ)」(→伊勢都比売命)とともに祀る。

地域・カテゴリ
文献
  • This Page Last Updated: 2021-01-15