酒呑童子
しゅてんどうじ
日本において平安時代に京都の北西にある大江山(本当は今で言う老坂峠のことだったともされる)や、近江国(滋賀県)の伊吹山を根城にとしていたとされる鬼の首領。「酒顛童子」、「酒天童子」とも書く。元々は鬼をよそおって財物、婦女子を掠奪した盗賊が伝説化されたもの。たびたび人里に下りてきては金品や食料を奪い、若い女性を自分の根城へと連れ去ったという。勅命により源頼光と、その四天王である坂田金時、卜部季武らが大江山で山伏の変装をして潜入し、酒呑童子とその手下が酔いつぶれるまで酒宴でもてなした。酔いつぶれたところで頼光が酒呑童子の頭をはねたところ、首が頼光の兜に噛み付いてきたが、渡辺綱と坂田金時が首の両目をついて、やっとのことでとどめをさしたという。
酒呑童子は大江山の捨て子だったとする説がある。つまり「捨て童子」が訛って「酒呑童子」になったのではないか、という説である。また酒呑童子を寺小僧とする説もある。「童子」とは出家しない幼童を指す言葉だが、出家せずに寺から逃げ出したためいつまでも「童子」なのだ、とする説である。また、伝説としては八岐大蛇の息子とされるときもある。これは時の権力に逆らった横暴な姿、酒によって殺された最後の姿において両者とも共通しているからであろう。