中国神話において周の始祖で、炎帝神農と並ぶ農耕神とされる神。帝嚳の妻の一人。姜嫄が巨人の足跡に自分の足を重ねてみたところ妊娠し、后稷が生まれたという。子供の頃から農耕に親しみ、土質をに適した穀物を選ぶことに長けており、このため帝俊(帝嚳の異名とされる)に農師に任命されたという。別の伝承によれば農耕の始めが后稷であり、地上に色々な穀物をもたらしたため、死後農耕の神とされるようになったともされている。中国最古の地理書とされる「山海経」によれば、后稷は帝嚳の息子であり、西南の黒水あたりにある都広という場所にある后稷の墓では、穀物が自然に繁茂しているという。