安宅丸
あたけまる
日本に伝わる生きた軍艦。「阿宅丸」、「阿武丸」とも書く。寛永12年(1635)に将軍徳川家光が造らせた水夫200人を擁す47メートルほどの大型軍艦だった。志の低い者や罪人などが入船しようと看板に踏み込むとうなり声をあげ威嚇し乗船拒否をしたといわれる。後に江戸の深川御船蔵に入れられていたが、夜な夜な「伊豆に行こう伊豆に行こう」と泣きながらうなり、とうとう嵐の晩に勝手に動いて伊豆に向かおうとした。結局神奈川県の三浦半島の三崎沖で拿捕されその後解体されたとされる。伊豆は安宅丸が造船されたところだった(三浦で造られたので三浦に向かっていたという説もある)。この話から、だだをこねる人の「安宅丸」と揶揄する。安宅丸の霊を鎮めるための塚が安宅町(現江東区)に築かれたとされるが現在は残っていない。また安宅丸の廃材を買って穴倉の蓋に使った家の妻に安宅丸の霊が憑き、狂ってしまったという話も残っている(しかし安宅丸は解体後焼却されたという話もある)。
- 地域・カテゴリ
-
- 文献