出雲御陰大神

出雲御陰大神

いずものみかげのおおかみ

「播磨国風土記」に見える神。揖保郡の枚方里(ひらかたのさと)にあった神尾山にいたという神。意此川(おしがわ。おそらく現在の林田川)を通る者は出雲御陰大神によって半数は殺されてしまうのだという。そこで(神の座所として)屋形を作り、お神酒を作ってこれを奉納したところ鎮まったという。この話は播磨国風土記中の意此川の段で語られるものだが、同様の話が枚方里の左比岡(さひのおか)の段でも語られおり、ここでは神名を単に「出雲大神(いずものおおかみ)」としている。この段では佐比(鋤ないし刃物)を作って奉納したが受け入れられなかったことと、神が前述のように荒ぶっていた理由が語られている。それによれば、この地には比古神(男神)が先に来たが、比売神(女神)が後になってきた結果、比古神は鎮まることができずこの地を立ち去り、比売神が残されたためなのだとしている。つまり出雲御陰大神は女神か、あるいはこの男女両神を合わせた名と考えられる。

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  • This Page Last Updated: 2020-12-18