疱瘡神

疱瘡神

ほうそうがみ

日本の民俗信仰における疱瘡を司る疫神の一種。疱瘡とは現代でいう天然痘のことで、疱瘡神はこの原因として想念された神であり、これを祀り、鎮めることで疱瘡の流行や病状が抑えられることを願ったものである。疱瘡が流行したときは「疱瘡神送り」などと称する祭りを行い、お囃子を奏しながら村外町外まで行進することで、疱瘡神と疱瘡に外に追いやろうとした。また疱瘡にかかった児童に対しては、神壇を設け供物をささげ疱瘡神の退散や病状の軽減を祈るなどのこともされた。こういったときに祀られる神は疱瘡神自身よりも、疱瘡に対して効験があるとされた鎮西八郎(源為朝)、笹野才蔵(可児才蔵)であった。疱瘡は外部から侵入し流行するものなので、これを防ぐために村の入り口や辻に疱瘡神を祀る祠が置かれることも多かった。静岡県や神奈川県では疱瘡神を祀るための「疱瘡棚(ほうそうだな)」と呼ばれるものをつくって清めのしるしとしたり、これを川に流して快癒や流行の終了を願ったりした。また疱瘡にかかった人に「疱瘡絵(ほうそうえ)」と呼ばれる達磨や前述の鎮西八郎や桃太郎、鐘馗、あるいは疱瘡神などの絵が赤刷りで描かれたものが見舞い品として贈られ、これらは病人の枕元に部屋の壁に貼られた。これら疱瘡絵は病人が回復すると燃やされたり川に流されたりしたため現存するものは少ない。赤刷りなのは赤色を疱瘡神が嫌がるからだという。

また疱瘡絵に似たもので「疱瘡神五人相渡誤証文之事(ほうそうがみごにんぐみあいわたしあやまりしょうもんのこと)」という、疱瘡神がもう屋敷に立ち入らず、疫病神の仲間ともども家人には迷惑をかけないことを約束する旨が連名で記された詫び証文があり、ここには「墨味筋悪」、「脚早荷弾」、「松皮掻姫」、「煎粒姫」、「部々寛味」という5人の疱瘡神の名前が記されている。
現在では疱瘡(天然痘)は根絶したため、疱瘡神への信仰もすたれているが、各地に「疱瘡神」や「疱瘡宮」と銘打たれた石碑や祠を見ることができる。また神奈川県秦野市寺山にある「鹿島神社(かしまじんじゃ)」の末社である「厄神社(やくじんじゃ)」は疱瘡神を祭神として祀る。

画像
疱瘡神の画像[1]サムネイル
疱瘡神の画像[2]サムネイル
疱瘡神の画像[3]サムネイル
地域・カテゴリ
キーワード
文献
  • This Page Last Updated: 2023-01-28