八嶋士奴美神

「古事記」において須佐之男命の子孫の系譜を語る段に登場する神。八嶋士奴美神は古事記での表記で、「八島士奴美命」、「八島士奴美尊」、「八島志奴美命」(いずれも読みは「やしまじぬみのみこと」)、「八志摩志奴美神(やしまじぬみのかみ)」、「八島篠見神(やしまじぬみのかみ)」とも呼ばれる。また「日本書紀」では「清之湯山主三名狭漏彦八島篠(すがのゆやまぬしみなさるひこやしましの)」、「清之湯山主三名狭漏彦八島野(すがのゆやまぬしみなさるひこやしまの)」、「清之繋名坂軽彦八島手命(すがのゆいなさかかるひこやしまてのみこと)」の名で見える。 神名の「八島」は「大八島(おおやしま)」=日本国土、「士奴美」は「知主(知り主)」の変化で、つまり「日本全土を知る主たる神」といった意味と考えられる。また別名にある「清(すが)」とは須佐之男命が名付けた地名「須賀」のことで、現在の島根県雲南市の一部にあたる。「湯山主」は「斎山主」とすれば、「須賀を祀り立てる山の主たる神」と読める。 須佐之男命と櫛名田比売との間に生まれた子神で、木花知流比売とともに布波能母遅久奴須奴神の親神とされる。「八柱御子神(やはしらのみこがみ)」の一柱として八王子神に数えられることがある。島根県雲南市大東町須賀にある「須賀神社(すがじんじゃ)」や高知県安芸郡安田町にある同名の「須賀神社」に親神の須佐之男命と櫛名田比売とともに主祭神として祀られる。

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