日本書紀に登場する女神。同訓で「稚日孁命」とも書く。「ヒルメ」とはつまり「日の妻(メ)」、日に仕える巫女の意だが、天照大御神の別名「大日孁貴(おおひるめのむち)」に対応した神名だと考えられる(大旦那・若旦那のように"大"と"若"は対義語だった)。従って元々は天照大御神の子、或いは随伴神だったのかもしれないが出自ははっきりしない。神話での稚日女尊は高天原で機織をしていた折に須佐之男命に馬を投げ込まれてことが原因で死んでしまう。またその後神功皇后が新羅遠征後に大和に向かっていた時に船を止め、自分を生田神社に祀るように託宣した。 これらの神話から機織の神でありまた神戸の産土神だと考えられ、平安時代には風雨の神として朝廷に祀られた。また庶民からは健康長寿や縁結びの神として信仰された。こういった複雑な神格はおそらく複数の神が一つに融合した結果だと思われる。 古事記に大国主神の後裔である布忍富鳥鳴海神の妃として「若盡女神(わかつくしめのかみ)」の名が見えるが、この神名の「盡」を「晝(昼の旧字)」の写し間違いとすれば「若昼女神(わかひるめのかみ)」と読めるので稚日女尊と同神とも考えられる。
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