神格化された老子の呼び名。「だじょうろうくん」とも読む。中国、漢代から次第に老子は神格化されたが、4世紀には、『抱朴子』によれば、老君と呼ばれるようになり、6世紀、北魏の寇謙之のときには最高神の太上老君(Tai-shang lao-jum)となって現れ、三十三天の太清天に住むと考えられるようになった。ただし、南朝梁の陶弘景は、太上老君(Tai-shang lao-jum)を神格としては第4位に下げ、その代わりに元始天尊(Yuan-shi Tain-zun)を第1位に据えて、太上老君(Tai-shang lao-jum)はその化身の一つとして扱われるようになった。三皇五帝(Sān-huáng wŭ-dì)以来名を変えながら代々の皇帝の先生となったとされる。具体的には初めの三皇の時は「玄中法師」、次の三皇の時は「金闕帝君(きんけつていくん)」、伏羲(Fú-xī)の時は「鬱華子(うつかし)」、神農(Shen-nong)の時は「九霊老子(きゅうれいろうし)」、祝融(Zhù-róng)の時は「広寿子(こうじゅし)」、黄帝(Huáng-dì)の時は「広成子(こうせいし)」、顓頊(Zhuān-yù)の時は「赤精子(せきせいし)」、帝嚳(Dì-kù)の時は「禄図子(ろくとし)」、顒(Yao)の時は「務成子(むせいし)」、舜の時は「尹寿子(いんじゅし)」、禹の時は「真行子(しんぎょうし)」────などといった具合である。道家書「抱朴子」によれば身の丈九尺、黄色い体に鳥の嘴のような口を持ち、全身に八卦が刻まれているという。
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