赤のテスカトリポカ(Tezcatlipoca)であり東を司る神。語義は「生皮を剥がれた者」。メソアメリカ中央部における春と農耕の神、種子と播種の守護神で、アステカの20あるセンポワリ(暦日)の15番目である「クアウートリ(Cuauhutli=ワシ)」の守護神であり、365日暦上では「1のオセロトル(Océlotl="ジャガー")」を呼称とする。ウィツィロポチトリ(Huitzilopochtli)、ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)、テスカトリポカ(Tezcatlipoca)ら3神と共にオメテオトル(Ometeotl)(オメシワトル(Omecíhuatl)とオメテクートリ(Ometecuhtli))から生まれた。 シペ・トテックはメソアメリカ南部高地が起源だと思われるが、最終的には古代オルメカの"第IV神"ないし、ゲレロ南部高地のヨペ人の信仰から派生したものだと考えられる。シペ・トテックは特にトラスカラ族に崇拝されたが、南部高地のサポテカ人やミシュテカ人、さらにはタラスコでも崇められた。後古典後期(後1250年−後1521年頃)になって初めて少数のマヤの都市国家に信仰されるようになり、オシュキントクやチチェン・イツァ、マヤパンなどの都市にその神像が登場する。金属細工の職人技の伝統が長く保たれていたオアハカ=ゲレロの南部高地では金属細工職人と石細工職人の守護神とされた。 シペ・トテックは苦悩と密接に関連した神でもあり、毎年の豊作を保証する見返りとして多くの人身供犠を要求した。アステカの18暦日の3番目の月である春の祭礼「トラカシペウアリストリ(Tlacaxipehualiztli)」では、この神の恩恵を乞う様々な儀式が執り行われたが、そこで生贄は皮を剥がれ、神官達がその皮を身にまとって踊りを踊ったという。これらの生贄はいずれもショチヤオヨトル(Xochiyaóyotl=生贄を補給するための儀礼的な戦い)の戦争捕虜で、供犠の目的は古代の豊穣儀礼を喚起するところにあった。 シペ・トテックの神像と仮面は、肥満した体に加えて、犠牲者から剥いで伸ばした皮をまとった神官として描かれる。二重になった唇やくぼんだ目であらわされるのも皮をかぶっていることによるものである。全身像の場合は、皮が背中で紐によって結ばれている。こうした生贄から剥いだ皮を着るという行為は、皮が植物の種皮を連想させることで、植物生命の再生を象徴していた。また、皮を剥ぐという行為は植物が毎年自己犠牲として皮を落として再生することと同様の意味を持っていた。生贄の死との関連で、シペ・トテックは地下世界ミクトランとも結び付けられ、そこから転じて天然痘や疫病、皮膚病やかさぶた、失明といった恐ろしい病を人間に送り込む神とも考えられた。 シペ・トテック(Xipe Totec) 1898 「ボルギア絵文書(Codex Borgia)」より ロストック大学図書館(Universitätsbibliothek Rostock)蔵 Copyright: public domain 血まみれになった武器と剥がされた人の皮を着た姿で描かれている。 シペ・トテック(Xipe Totec) 1898 「ボルギア絵文書(Codex Borgia)」より ロストック大学図書館(Universitätsbibliothek Rostock)蔵 Copyright: public domain
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