「播磨国風土記」に言及される女神。同訓で「散用都比売命」、「賛用都比売命」とも書く。また「玉津日女命(たまつひめのみこと)」、「佐用都比売神(さよつひめのかみ)」、「佐用津姫神(さよつひめのかみ)」とも呼ばれる。伊和大神(いわのおおかみ=大国主神に比定される)とその妃神であった玉津日女命が讃容郡を訪れたとき、どちらがこの地を占めるかを互いに争った。玉津日女命が鹿を捕らえて寝転がし、腹を裂いて血で稲の種を撒いた(つまり種を血に浸して撒いた)ところ、一夜で苗が生えたので、これを植えた。これを見た伊和大神は「十五夜(さよ)に植えたのか」と言ってこの地を去ったという。このことからこの地を「讃容(さよ)」といい、また玉津日女命を佐用都比売命と呼ぶようになったという。また「桉見(くらみ)」という地名は佐用都比売命が金の鞍を得た場所であることからだという。「広比売命(ひろひめのみこと)」という妹神がいるとされる。 兵庫県佐用郡佐用町本位田にある式内社「佐用都比売神社(さよつひめじんじゃ)」は、現在「狭依毘売命(さよりびめのみこと)=市寸島比売命」を祭神として祀るが、これは名前の類似から佐用都比売命と狭依毘売命を同神としたものと思われる。
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