日本記紀神話における国津神の一人。「古事記」では「猨田毘古神(さるたびこのかみ)」、「猨田毘古大神(さるたびこのおおかみ)」、「猨田毘古之男神(さるたびこのおがみ)」等と書かれる。「日本書紀」や「古語拾遺」には「衢神(ちまたのかみ)」という表記も見られる。神名の意味ははっきりせず、琉球語で「先導」を表す「さだる」が訛ったもの、あるいは伊勢の狭長田(さなだ)や佐那県(さなのあがた)、佐多岬などの地名が語源となっているという説、「サ」は神稲、「ル」は「の」の意とし「神稲の田」を意味するという説、猿を田の神とする民俗信仰が由来であるという説など数々考えられている。 天孫降臨のときに、その道案内をつとめ、のち、伊勢国(三重県)五十鈴川のほとりに鎮座したといわれる。きわめて長身で、鼻が非常に高く恐ろしい顔つきをしていたという。古くは、衢(ちまた)の神とされていたが、中世、障(さえ)の神と混同されて道祖神となり、一方、仏教の影響を受けて、「猿」と「申(さる)」との混同から、庚申の日にこの神を祀るようになった。
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