文殊菩薩

仏教において諸仏の智慧を象徴する菩薩(Bodhisattva)で二十五菩薩の一尊。梵名を「マンジュシュリー(Mañjuśrī)」と称し、これを音訳して「文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)」、略して文殊菩薩(Mañjuśrī)と呼ばれる。また意味による漢訳より「妙徳菩薩(にょうとくぼさつ)」、「妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)」、「法王子菩薩(ほうおうじぼさつ)」、「法自在王菩薩(ほうじざいおうぼさつ)」などの名前でも呼ばれる。 「三人寄れば文殊の知恵」などと今でも言われるように、知恵を司る菩薩であり、受験生や学問を志す者に特に信仰されている。実在の人物とされ、釈迦の名代として釈迦の弟子であった「維摩居士(いまこじ=ヴィマラキリーティー)」と論戦を交えた話が伝わっている。普賢菩薩(Samantabhadra)ともに釈迦如来の脇侍であり、釈迦如来の左に配され合わせて「釈迦三尊」と称する。一般的に知恵を象徴する剣を持ち獅子の背の蓮華に座した姿で表されるが、他にも様々な姿で表される。五髻の文殊が一般的で、これを「五髻文殊(ごけいもんじゅ)」、「五字文殊(ごじもんじゅ)」と呼ぶが、他にも一髻の「一字文殊(いちじもんじゅ)」、六髻の「六字文殊(ろくじもんじゅ)」、八髻の「八字文殊(はちじもんじゅ)」などが見られる。さらに文殊菩薩(Mañjuśrī)の無垢で執着のない智恵を象徴する子供の姿の文殊菩薩(Mañjuśrī)も多く、これは「兒文殊(ちごもんじゅ)」と呼ばれる。 中国においては文殊菩薩(Mañjuśrī)の乗った獅子を「善財童子(ぜんざいどうじ)」が先導し、「憂塡王(うでんおう)」が手綱を引き、「仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)」と「最勝老人(さいしょうろうじん)」が従う姿を描いた「五台山文殊(ごだいさんもんじゅ)」と呼ばれる形で篤く信仰された。これは旧華厳経において文殊菩薩(Mañjuśrī)の住所とされている「清涼山(しょうりょうざん)」を中国にある五台山に比定したもので、文殊菩薩(Mañjuśrī)と前述の4人を含めた五尊は「文殊五尊(もんじゅごそん)」と呼ばれる。またこれが発展し雲に乗って文殊五尊が五大台山に向かう様子を描いた「渡海文殊(とかいもんじゅ)」も成立した。 胎蔵界曼荼羅の中台八葉院西南方に開敷華王如来(Saṃkusumitarāja)から発生した菩薩として配されるものは黄色の身色で五髻、左手に三鈷杵の乗った青蓮華を、右手に梵篋を持つ。文殊院の中央に主尊として配されるものは金色の身色で護髻の童子形であり、金剛印の乗った青蓮華を右手で持ち白蓮華台に坐す。 密号は「吉祥金剛(きちじょうこんごう)」ないし「般若金剛(はんにゃこんごう)」、種字は「अ(a)」、「अं(aṃ)」、「धं(dhaṃ)」、「के(ke)」、「मं(maṃ)」など、真言は「南麼三曼多勃馱喃瞞(なうまくさまんだぼだなんまん)」(妙吉祥真言・T0848)、「曩莫三漫多沒馱喃瞞係係矩摩羅迦尾目吃底鉢他悉體多娑麼囉娑麼囉鉢囉底然娑嚩賀」(文殊師利菩薩真言・T0852)、印相は梵篋印ないし虚心合掌して両手の中指を薬指の背に付け人差し指を曲げ親指に絡めたもの。三昧耶形は青蓮華上金剛杵、青蓮華上三股、梵篋、智剣。 文殊師利菩薩 1804 藤原行秀 写 「十王寫(じゅうおううつし)」より 国立国会図書館蔵 Copyright: public domain 十王図の第三幅に宋帝王の本地として描かれたもの。 五台山文殊 「大正新脩大藏經図像部 第6巻」 京都醍醐寺蔵「諸文殊圖像」より 大蔵出版 ©大蔵出版及びSAT大蔵経データベース研究会(Licensed under CC BY-SA 4.0) 文殊師利菩薩 「大正新脩大藏經図像部 第1巻」 「大悲胎藏大曼荼羅 仁和寺版」より 大蔵出版 ©大蔵出版及びSAT大蔵経データベース研究会(Licensed under CC BY-SA 4.0) 胎蔵界曼荼羅の中台八葉院における図像。 文殊師利菩薩 「大正新脩大藏經図像部 第1巻」 「大悲胎藏大曼荼羅 仁和寺版」より 大蔵出版 ©大蔵出版及びSAT大蔵経データベース研究会(Licensed under CC BY-SA 4.0) 胎蔵界曼荼羅の文殊院門内における図像。脇侍は左上が観音菩薩(Avalokiteśvara)、右上が普賢菩薩(Samantabhadra)、下部左右が対面護門。

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