コンティティ・ヴィラコチャ・パチャヤチャチック

インカに伝わる汎アンデス的な創造神ヴィラコチャ(Viracocha)の数多くの別名の一つ。先インカ時代からヴィラコチャ(Viracocha)の対しての信仰が存在したカチャの人々によるヴィラコチャ(Viracocha)の呼び名。「神にして世界を創造した者」の意。伝説によればヴィラコチャ(Viracocha)がカチャにやってきたとき、カチャの人々はヴィラコチャ(Viracocha)に石を投げつけ敵意を剥き出しにして威嚇した。しかしヴィラコチャ(Viracocha)がひざまずいて手を空にかざすと空に火が満ちたので、人々は恐れおののいてヴィラコチャ(Viracocha)に許しを請った。その日はすぐにヴィラコチャ(Viracocha)によって消されたが、付近にあった巨石は焦げて「コルクのように軽く」なってしまっていたという。カチャの人々はこれらの巨石を神聖なものとして禁や銀の捧げものをして祀ったという。 カチャにはこれら巨石のほかにコンティティ・ヴィラコチャ・パチャヤチャチック(Contiti Viracocha Pachayachachic)自身の石像も祀られており、16世紀にカチャに訪れた年代記者フアン=デ=ベタンソスによってこの石像の特徴が記されている。ベタンソスは「ヴィラコチャ(Viracocha)は背が高く、足まで届く白いローブを身につけ、ウェストにベルトをしていた。頭には何もかぶっておらず、修道士のように短髪だった。また修道士のもつような聖務日課書らしきものを手にしていた。」としているが、当時インカはキリスト教の強い支配下にあり人々が改宗を求められていたことを考えると、正確にヴィラコチャ(Viracocha)の姿を描写したとは考えにくい。

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