キニチ・アハウ

マヤにおける太陽神。「アハウ・キン(Ahau Kin)」、「ア・キンチル(Ah Kinchil)」とも呼ばれる。「太陽の顔をもつ者」とされ、月の女神イシュチェル(Ixchel)の夫神とされることがある。最高神イツァムナ(Itzamna)と関連があり、ある意味でイツァムナ(Itzamna)の別の姿と考えられていた。つまり、キニチ・アハウ(Kinich Ahau)はイツァムナ(Itzamna)の昼の面を担い、太陽の生命と(すべての生命を象徴する)日々の軌道を象徴する。日没後の夜にキニチ・アハウ(Kinich Ahau)はジャガーに変身し、地下世界を旅するとされる。したがってイツァムナ(Itzamna)が老人(老いた太陽)として描かれるのに対して、キニチ・アハウ(Kinich Ahau)は若人(若い太陽)として描かれる。古典期(BC300~BC900)、後古典期(BC900~AD1512)のマヤ美術においては、四角い目と大きな鼻で描かれ、数字の4に象徴される。 キニチ・アハウ(Kinich Ahau)はとりわけマヤの都市国家の歴代統治者によって崇拝され、自分たちをキニチ・アハウ(Kinich Ahau)の子孫と見なしたり、あるいは自分と同一視したりすることさえあった。キニチ・アハウ(Kinich Ahau)は権力の源であり、統治権を象徴する神とみなされていた。またキニチ・アハウ(Kinich Ahau)は都パレンケの守護神であり、世界と神々の創造を表した十字型の神殿の一部はこの神の祭祀に使用された。

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