中国神話において五帝(参考:三皇五帝(Sān-huáng wŭ-dì))の二人、堯(Yáo)と舜の臣下とされる神。楽官(朝廷の音楽に関することを司る官吏)として音楽を司り、若者達に教えたとされる。ただ、これは孔子編とされる「書経」という書物にかかれた夔(Kuí)の姿で、中国最古の地理書とされる「山海経」の大荒東経の項に書かれる夔(Kuí)の姿は全く異なる。それによれば夔(Kuí)は、東方の海の七千里沖にある、流破山という場所にいる怪物で、牛に似た姿をしているが角は無く、また一本しか足がないという。また体は蒼色(青みがかった灰色)をしており、海に出入りする時は風雨を伴い、日月のような光を発し、雷のような声を発するという。黄帝(Huáng-dì)がこれを捕らえ、その皮で鼓を作り、雷獣の骨を撥(ばち)として叩いてみたところ、その音は五百里先まで届いたという。 この二つの書物の夔(Kuí)に対する見解の違いの原因は、神話を歴史に無理やり転化したための矛盾であると考えられる。こういったことを行ったのは孔子を始めとした儒家であり、「呂氏春秋」という中国の雑家書にはこう書かれている。魯の哀公という人が孔子に「夔(Kuí)一足」とはどういう意味か?と尋ねた。この文は素直に読めば「夔(Kuí)は一足(一本足)である」と読めるからだ。楽官であったはずの夔(Kuí)が一本足というのはいささかおかしいというわけだ。これに対して孔子はこの文を「夔(Kuí)は一で足る(一人いればそれで足りる)」という意味だと教えたという。ただ、「山海経」も「書経」も成立年代がはっきりしていないため、どちらの夔(Kuí)が正しい姿なのかははっきりとは分かっていない。
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