歓喜天

仏教における天部(→天(Deva, Dēva))の一尊。サンスクリット名を「ガナパティ(Gaņapati)」、あるいは「ナンディケーシュバラ(Nandikeśvara)」という。「ガナパティ」は「集団の王」という意味があり、同じく名前に「群集の主」という意味を持つインド神話の象頭の神ガネーシャ(Ganeśa)の異名。「ナンディケーシュヴァラ」は「喜びを自在にする」といった意味でガネーシャ(Ganeśa)あるいはガネーシャ(Ganeśa)の父神シヴァ(Siva, Shiva, Śiva)の異名とされる。またガネーシャ(Ganeśa)の異名である「ヴィナーヤカ(Vināyaka)」も仏教に取り入れられたが、古くから同体とされた。歓喜天(Gaņapati)という名称は、ナンディケーシュヴァラの意味訳「大聖歓喜自在天(たいしょうかんぎじざいてん)」が略されたもの。またサンスクリット名それぞれの音写より、「誐那鉢底(がなはち)」、「難提自在天(なんだいじざいてん)」、「毘那夜迦(びなやか/びなやきゃ)」、「聖天(しょうてん/しょうでん)」、「天尊(てんそん)」、「歓喜自在天(かんぎじざいてん)」などの名前でも呼ばれる。両界曼荼羅では毘那夜迦の名称が用いられ、誐那鉢底は毘那夜迦の主領の名前だとされることがある。 元となったガネーシャ(Ganeśa)と同じく象頭人身の神であるが、双身で作られることが多い(これを特に「大聖歓喜双身毘那夜迦天王(だいしょうかんぎそうじんびなやかてんおう)」と呼ぶ)。この双身像は男である歓喜天(Gaņapati)=毘那夜迦と、毘那夜迦の女形に変化した十一面観音(Ekādaśamukhāvalokiteśvara)を表したものである。悪神であった毘那夜迦は十一面観音(Ekādaśamukhāvalokiteśvara)の変化身に見惚れその身を抱こうとしたが、十一面観音(Ekādaśamukhāvalokiteśvara)の勧めにより全ての悪行を止め仏教に帰依したとされる。したがってこの男女和合の姿は欲心を満たすものではなく善悪調和の象徴であるとされるが、一般的にはその姿から夫婦和合や子宝・安産の功徳があると考えられた。 歓喜天(Gaņapati)は元々は障碍神(しょうげしん=悟りの邪魔をする神)であったため作障や悪行を善行とする、という功徳を持っている。ここから衆生のあらゆる願いを起点として仏法へと導く神とされるようになった。反対に言えばどんなに欲深い願いでも叶えてくれる神だといえるが、それだけに反作用も大きいと考えられ、「霊験が強すぎて子孫七代までの福を一代で使い果たしてしまう」とか、「歓喜天(Gaņapati)の供物を貰って食べるとそれを備えた人に福徳を取られてしまう」などといった俗信を生むことになった。また歓喜天(Gaņapati)を信仰を途中でやめると障りがあるとも言われる。治病や除難、安産や商売繁盛などの現世利益を叶える神として現在でも信仰されている。胎蔵界曼荼羅の外金剛部院(最外院)には「毘那夜迦」の名で単身の歓喜天(Gaņapati)が配されている。 種字は「गः(gaḥ)」、「ह्रीः(hrīḥ)」、三昧耶形は蘿蔔根(らふこん=ダイコンのこと)、歓喜団、鉞斧、戟、箕、印相は箕印にして内縛し中指を立てて合わせ、人差し指を中指の背に添え、さらに親指を人差し指につけるもの、真言は「曩謨尾那翼迦瀉賀悉底母佉瀉怛儞野他引唵娜翼迦尾娜翼迦怛羅翼迦簸哩怛羅翼迦餉佉賀悉底餉佉迦只多娑婆賀」(誐那鉢底王真言・T1273)、「唵儗哩虐娑縛賀」(毘那夜迦生歡喜心雙身真言・T1273)など。 毘那夜迦 「大正新脩大藏經図像部 第1巻」 「大悲胎藏大曼荼羅 仁和寺版」より 大蔵出版 ©大蔵出版及びSAT大蔵経データベース研究会(Licensed under CC BY-SA 4.0) 胎蔵界曼荼羅外金剛部院における図像。

ページにリダイレクトします。