八幡神

日本において稲荷神に次いで現代も広く信仰されている武神。八幡神を祀った各地の八幡宮は大分県にある宇佐神宮を本源としているが、この神の名前の由来や起源についてはよく分かっていない。宇佐八幡縁起を引用した「扶桑略記」によれば、竹の葉の上に三才程の幼児が現われ、「我は誉田別尊(ほんだわけのみこと)である」と名乗り、日本国中を廻った上で宇佐に鎮座することに決めた、と語ったという。誉田別尊とは応神天皇のことであり、今でも八幡神は一般的に応神天皇とその姫神(ないし父親である仲哀天皇)、及び母親である神功皇后の三柱をいう。しかし、八幡神と応神天皇信仰はもともと別のものであり、八幡神とは宇佐地方一帯に栄えていた宇佐氏ないし大神氏の、農耕を司る氏神であったのではないか、という説が有力である。「八幡」の語源については「やわた」とも読めることから、「称畑」という地名に由来したものではないか、「幡」が軍旗を指すことから大八洲国(おおやしまぐに=日本国)の旗印といった意味ではないか、などの説がある。いずれにしても応神天皇の武功になぞらえ、武道(とくに弓矢)の神、守護の神として信仰されている。

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