中国神話において帝嚳(Dì-kù)の数多くいる妻の一人とされる女神。十個の太陽の生みの親だとされる。羲和(Xī-huó)の生んだ十個の太陽は最初一つずつ空を登っていた。東南海の外には羲和(Xī-huó)の国があり、そこで羲和(Xī-huó)は太陽たちに湯浴みをさせて汚れを落とさせたとされる。しかし堯(Yáo)の時代になると十個の太陽が同時に現れるようになり、草や木は焼け焦げ、人民は大いに苦しんだ。そこで天帝だった帝嚳が弓の名手であった羿(Yì)を地上に送り、太陽に住むとされる烏を次々と打ち落とし、太陽を一個にしたのだという。また羲和(Xī-huó)は太陽の御者だったとする伝承もある。羲和(Xī-huó)が御者となって太陽を運ぶ車が、東の東谷を出発すると朝になり、西の虞泉に近づくと夕暮れになり、蒙谷に入ると夜になる。太陽が十個あるのは月を10日で分けて上旬、中旬、下旬とするような暦の区切りに関係があるといわれている。
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